七の黒服／ネグロのやり方
「人間、はっけーん」
それは唐突に私を襲った。
背中に広がる痛みを認識する前に見えたのは、長髪の男だった。糸のように目を細めて笑っていた。
私は強い力か何かで地面に倒されたらしく、ずきずきと背中や腰が苦痛を訴えていた。起き上がろうともがくが、押さえつけられているようだ。目には見えない力のようなものが働いているのだろうか。非現実な考えだか、そうとしか考えられない。なぜなら、私を押さえつけることが可能なはずの男は立って私を見下ろしているのだ。
「頭、ぶつけなかった？」と男は猫なで声をあげる。女や、好きものの男なら一発で貢がせる事ができそうな、魔性の声だ。なぜ私は冷静に分析しているのだろう。
「金が欲しいのか」
そうなんとか搾り出すと、男は目を開けた。うすく開いた目に感情は伺えない。
男はからからと無邪気に笑い、腰をかがめる。長い髪が私の顔に触れるが、それと一緒に腐ったようなにおいが鼻をかすめる。
「お金、あるの？ じゃあ貰っちゃう。HBの新作入ってたし、SSのアクセも欲しいしなあ」
男は手袋をはめた手で口元を隠し、私には良く分からないことをつぶやく。そしてやがて、プランを練り終えたのか私に向き直り、
「じゃ、まずは財布貰うね。どこにあんの？」
孫や甥がたかるように言った。私は少しの間をおいてから、「腰のポケット」と呟く。この手の相手には、さっさと金を渡して手を引いてもらうに限る。幸いにも今日は余り手持ちがないし。
そんなことを考えている間に、男は財布を見つけ出したようだった。その場に座り込み（大の大人が、子供のように足を投げ出して）財布の中身を確認している。
「金は渡したんだ。離してくれ」
「ちょっと待って今数えてるんだから」
軽く無視されてしまった。しかしこの様子なら傷も負わずに終わるだろう。私は安堵する。
「おじさん、結構持ってるね。社長かなんか？」
その問いに答えずにいると、男は拗ねたのか、口を尖らせながら立ち上がる。私は身じろいだ。
「離してくれ」
「え？」と男は首をかしげる。「そっか、俺が押し付けてるのか」
男はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、私を覗き込む。
「おじさん、最近流行りの＜死者の冒涜＞って知ってる？」
その単語に、私の背に悪寒が走る。
「猟奇的な、大量殺人事件」
「そう。国中のどこででも発生して、生存例のない、でもなぜか皆知ってる」
「冗談はやめてくれ」
「おじさんさ、臭いって思わなかった？」
まるで動物の死体が腐ったような悪臭。男は笑いながら言葉を紡ぐ。私は黙ったまま、男の感情の無い笑みを見る。
「おれの、コートの中、見てみる？」
いつの間にか男は再び屈み、私の顔にはあっと生臭い息を吹きかける。口臭の類ではなく、これは純粋に、死肉のにおいだ。私は全身から汗を噴出させる。
「運が悪かったね」と、どこまでも純粋な、無邪気な笑顔で男は囁く。「おじさん、割と好みだったよ」
その声が耳に残る間に、胸に痛みが走る。熱を伴っていて、激痛なのかなんなのかわからない。私はただ、死を感じるしかない。
「心臓は俺の好物。あとは皇におみやげ」
いつの間にか取り出していた私の心臓をうまそうに咀嚼しながら、男は血に濡れた口元を緩めて言った。
（ただのくたびれたおじさんが50万もサイフに入れないよなー。ラッキー）
