吹き溜まった言葉たち

七の黒服/ヒューズのやり方

 自殺しようかな。そんなことを思い立って、学校の屋上に来てみた。立ち入り禁止だから扉には鍵がかかっているけど、大分古いから殴ったりしていたら開いたようだった。(私が開けたわけじゃない。断じて違う)

 四階建ての校舎を登るのは楽じゃないし、屋上からの眺めはあんまり良くないので、人気は全くない。私はよく屋上に登るけど、2年間の学校生活でただの一度も他人に会ったことがない。

 ……今日までは。

 そこには先客が、それも変な先客がいた。錆びついたフェンスによじ登り、どこか遠くを見ている。この学校の生徒じゃないことは一目で分かる。真っ黒い服で身を固めていて、翼の飾りなんてつけているから。

「あの」

 そう声をかけると、先客は大いに驚いたようだった。ぎゃあとか叫びながらバランスを崩し、あわててフェンスにしがみついている。

「ちょっといきなり話しかけんじゃないよ、あーびっくりした……」

 くぐもった声で怒りながら、先客はこちらを向いた。その顔が又不思議だ。髪はメロンイエローの出来損ないオールバック(さっきバランスを崩した時に崩れたのか、元々そんなスタイルなのかはわからない)で、目は暗い青。バッテンの描かれたマスクをつけている。正直に言うと、わけがわからない。

 先客はフェンスの上から降りようとはせず、あたしが彼に近づく。

「何してるの?」

「空見てる」

 フェンスごしだと住宅街が大半を占めている。登れば空の割合が大きくなるのかと思ってよじ登ってみると、先客は驚いたのか、目を真ん丸くして私を見る。

「なに?」

「い、いや……パンツ見えるだろ」

「あなたが見なきゃ良いだけでしょ」

 ふんと鼻を鳴らすと、先客はそりゃそうかとそっぽを向いてくれた。そのうちにフェンスをまたぎ終え、スカートがめくれないようにしっかり座る。

「わ、登ると結構きれい」

 私の感想に先客は振り向き、子供みたいに笑った。

「アクティブな女は好かれるね」

「フラれてきたんだけどね」

 自嘲気味に言うと、先客は困ったような表情をして黙り込んでしまった。結構優しい人らしい。

「あなたが困ることないでしょ。落ち込むのは私の役目。あーあ」

「あんまり落ち込んでるように見えないけど」

「うん、死のうと思ってる程度だし」

 そう笑ったら、先客はいよいよ困り果ててしまったようだった。何か言おうとしてるんだけど、言葉が見つからないらしい。

「青空の中に飛び込んだら流石に死ぬよね。ここ四階だし」

「そりゃあまあ、死ななかったらばけもんだ」

「よし、じゃあ死ぬ。またね、コスプレイヤーさん」

 笑いながら私はフェンスを蹴る。がしゃんと音を立てて(隣に座っていた先客にはちょっと申し訳ない)空にダイブして、一瞬の静寂の後、私の重たい体はまっさかさまになる。

 うわー早い怖い心臓縮む。はやまったかな、やめとけば良かったかな。だけどもう落ちた事は取り返しがつかなくて、私は地面に落ちて頭がぱっくりザクロみたいになるのを待つだけだった。

 ……待つだけだったんだけど、いつまで経ってもその時はやってこない。むしろなんかふわふわする。私は思い切って目を開けてみた。そこにあったのは。

「知り合っていきなり死なれたら、寝覚め悪いったらありゃしないよ」

「え、ちょ、そのハネ飾りじゃ」

 コスプレイヤーさん、もとい先客が私を抱きかかえ、空中に静止していたのだ。ばたばたと言う音をあげながら、ふわふわ、ぐらぐらと。

「天使? マジもんの天使?」

 先客さんのハネの色はほとんど黒だから、堕天使(小説とかじゃ黒い翼はだいたい堕天使だし)だろうか。

「どう思うかは勝手だけどね、俺はコスプレイヤーじゃないから! どうせならヒューズって呼んで」

「じゃあヒューズ」と私は言う。「私は死にたいんだけど」

「だ・か・ら!」とコスプレイヤ……もとい先客、いやヒューズは大きな声を出す。「俺の目の前で死ぬんじゃないよ……枕元に立たれるのはほんと勘弁してほしいんだから」

「じゃあ屋上に帰して。あなたの目の届かない所で死ぬから」

「死ぬなって言ってんの!」

「優しいねえ」

「あんたが淡々としすぎなんだよ」とヒューズは大きなため息をつく。「死ぬぐらいなら、魂ちょうだいよ」

「魂? あるの?」

 私が訪ねると、ヒューズは上昇した。屋上に戻ってきて、私はコンクリの床に降ろされる。その隣にヒューズが座ったので、私も座ることにした。

「大抵のものにはあるよ。魂があるから、人間は精神を持てる」

「へー」と私はかえす。そういうもんなのか。どこにあるのかとか、どんな形なのかとかは教えてくれなかった。

「魂がなくなったらどうなるの?」

「動ける植物人間みたいな状態になるかな」

「ふーん」と私はかえす。死んだようなもんか。いい感じだ。

「じゃあ、魂あげる。死んでなきゃいいんでしょ? そんなゾンビみたいな生活でもいいや」

 軽く言うと、ヒューズは頭痛がするとでもいいたげに首を振った。だからなんであなたが困ったりするのよ。

「欲しいって言ったのは確かに俺だけどさ、その……あーもう、貰っていいんだな!?」

「だから良いってば」

 何度目かのため息と共に、ヒューズは私の目をじっと覗き込んだ。

「そんな死に急ぐことないだろうに。俺としては嬉しいけどさ、大体お」

「さっさとしてよ」

 ぶつぶつ呟くヒューズを急かすと、とうとう諦めたのか彼は特大級のため息を漏らす。

「手っ取り早くここで魂とられるのと、手順踏んでちゃんととられるの、どっちが良い?」

「もうここでお願い。はやく死に……はやくしてよ」

「あいわかりましたよー、ったく、今どきの人間は」

 ヒューズは愚痴りながら、バッテン模様のマスクを外した。形の整ったくちびるが現れて、バケモノみたいなのかとからんぐいの牙が生えてるのかなとか私がこっそり考えていたイメージは粉々になった。

 そしてヒューズは私の額や胸の真ん中、おへそを指でなぞる。丁度一本の線を書くみたいに。

 じっと黙って作業をするヒューズを見ながら、私はぼんやりこの人のこと好きになったかもしれないなんて思った。我ながら面食いだ。失恋の傷はどこへやら。

「名前は?」とヒューズが尋ねてきた。「魂が取れない」

「薫」

「カオルね」とヒューズが呟く。「カオル、こっち向け」

 言われたとおりに顔をあげると、ヒューズの顔が凄まじく近かった。デコがぶつかりそうだなんて考えていると、キスされた。深海みたいな目はうすく閉じられてて、私は勝手に心臓を高鳴らせる。感情とかそういったものが無くなる直前に幸せな経験ができるっていいよなー。

 ヒューズは口付けたまま何かを吸い取るように息を吸って、私から離れた。

「あ、甘い……なに、一目惚れされてた?」

「どうしよ、いい魂はもらえたけど、抜け殻」

「皇に食わせるのはなぁ」

「どーしよ……あ、広告塔になって貰おう。精神の破綻みたいに思われるかな。あーでも生存者がって言うからだめだな」

「……」

「皆ごめん! やっぱ人殺しなんて無理だ俺」

「感じる心は無いけど、幸せに生きろよ、カオル」



(せめて、たまにはお前に会いに行ってやるから。お前は俺を認識しないけど)

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